はじめに
「書くことには力がある」とよく言われます。
毎日の出来事を綴る「日記」、そして最近よく耳にする「ジャーナリング」。
どちらも“自分と向き合う手段”であることに違いはありませんが、実際にやってみるとその違いは意外とはっきりしています。
今回は、実践して感じた「日記」と「ジャーナリング」の違いについて、お話ししたいと思います。
日記は「出来事」、ジャーナリングは「内面」
一番大きな違いは、書く対象です。
日記は、「今日あったこと」を中心に、時系列にまとめていきます。
例:「朝、散歩に出かけた。天気が良くて気持ちよかった。」
ジャーナリングは、「いま感じていること」や「頭の中にあること」を、そのまま紙に書き出していくもの。
例:「最近“動きたい”という衝動が強くなってきている。たぶん何か変化を求めている気がする。」
日記が外側の出来事の記録だとすれば、ジャーナリングは内側の風景のスケッチのようなものです。
日記は「整える」、ジャーナリングは「そのまま出す」
日記は、ある程度“まとめよう”“読み返せるように”という気持ちが働きます。
段落を整えたり、言葉を選んだりして、他人に見せても大丈夫なように書く感覚もあります。
小学校で描いた絵日記が正にそれです。
一方、ジャーナリングは誰にも見せない前提で、自分だけの空間。
だから、「文がつながらなくてもOK」「汚くてもOK」「誤字脱字もそのままでOK」。
頭の中にあるモヤモヤや断片的な感情を、ただそのまま吐き出す行為に近いです。
書きながら、自分の思考がどこに向かっているのかが見えてくる。
これは、日記ではなかなか味わえなかった感覚です。
日記は「記録」、ジャーナリングは「探求」
日記は過去の記録として役立ちます。
「去年の今ごろ、何してたっけ?」と振り返る時には、日記がとても頼りになります。
ジャーナリングは、今の自分にとっての“問い”に向き合う時間になります。
- なぜこのことが気になっているのか?
- 最近の不安の正体は何なのか?
- 自分が本当に求めていることは?
書いているうちに、見えてくる答えや、逆に「まだ答えが出ていないこと」が浮かび上がってくるのです。それが、自己探求の手がかりになります。
日記は「ルーチン」、ジャーナリングは「自由」
日記は、「毎晩寝る前に書く」など、決まった時間にルーチン化しやすいものです。
継続しやすく、ライフログ的な意味もあります。
- ジャーナリングは、もっと自由です。
- 朝の5分で頭をスッキリさせたいとき
- 感情が溢れてきてどうしようもないとき
- 突然アイデアが降りてきたとき
“今”というタイミングに正直に、自分の感覚に従って書けるのが、ジャーナリングの魅力です。
実際にやってみると
両方をやってみると、どちらも必要な時間だということ。
日記は「記録」、ジャーナリングは「解放と洞察」。
目的も感覚も違うけれど、どちらも“自分とつながる”ための大切なツールです。
特に、ジャーナリングでは「こんなことを感じていたのか」と自分でも驚く発見がたくさんあります。書くことが、思考の整理を超えて、“内なる声”との対話になっていく。
この体験は、ジャーナリングならではのものだと感じています。
まとめ:どちらが正しいかではなく、どちらも使い分ける
日記とジャーナリング、どちらも「書く」ことには変わりありませんが、その目的とアプローチがまったく異なります。
観点 | 日記 | ジャーナリング |
内容 | 出来事の記録 | 思考・感情・直感の書き出し |
目的 | 記録、振り返り | 自己理解、感情の解放 |
文体 | 整った文章 | 自由な書き方 |
向いている人 | ライフログを残したい人 | 内面と深く向き合いたい人 |
どちらが正解、ということはなく、そのときの自分の目的や状態に合わせて選べばいいのです。
おわりに
もし「もっと自分の気持ちを整理したい」「直感を大事にしたい」と感じているなら、一度、ジャーナリングを体験してみてください。
紙とペンさえあれば、どこでも始められます。
あなたの中にある、まだ言葉になっていない“本当の声”が、聞こえるかもしれません。