選択を間違えたくないと思うほど、動けなくなってしまうとき
① 「正しく選びたい」が足を止める
「もし失敗したらどうしよう」
「あとから、あっちを選べばよかったと思うのが怖い」
そう考えるほど、なぜか体が動かなくなっていく。最善の選択をしようとしているはずなのに、
選ぼうとするたびに不安が増え、決断の直前で足がすくむ。何もしていないわけではありません。調べ、比較し、慎重に考えている。
それでも一歩が出ない。
周囲が少しずつ前へ進んでいく中で、自分だけが同じ場所に留まっているような焦りだけが積み重なっていきます。
② 「失敗してもいい」が響かない理由
このようなとき、よく投げかけられる言葉があります。
「失敗は成功のもと」
「間違えてもやり直せる」
「深く考えすぎないほうがいい」
けれど、その言葉が心に届かないからこそ、今ここで立ち止まっています。あなたは単に怖がっているのではありません。感情に振り回されているわけでもない。
むしろ逆で、できるだけ論理的に、間違いのない選択をしたいと考えている。
だからこそ、「間違えてもいい」という言葉は、思考を放棄するように感じられてしまうのです。
③ なぜ「間違えたくない」は行動を止めるのか
心理学的に見ると、人は未来の失敗によるダメージを、実際以上に大きく見積もる傾向があります。
- 後悔が長く続く気がする
- 人生が取り返しのつかない方向に進む気がする
- 自分の評価が決定的に下がる気がする
これらは多くの場合、想像上で過剰に拡張されています。さらに「できるだけ良い選択」ではなく「絶対に間違えない選択」を求め始めた瞬間、判断基準は急激に厳しくなります。検討材料は増え続け、脳は“完璧な答えが出るまで動いてはいけない”という制約を自らに課します。
その結果起きるのが、
動かないことで、間違いを回避しようとする状態
です。
選ばないことが、唯一の安全策になってしまう。これは意志の弱さではなく、判断基準が機能しなくなったときに起こる、極めて自然な反応です。
④ 「間違い」とは何を指しているのか
ここで一度、問い直す必要があります。あなたが恐れている「間違い」とは、何を基準に定義されているのでしょうか。
- 世間的に成功とされるか
- 他人から評価されるか
- 将来後悔しないと言い切れるか
もしその基準が、常に変化する外側の物差しに置かれているとしたら、どれほど考えても「絶対に間違えない選択」は見つかりません。なぜなら、外部基準はあとからいくらでも書き換わるからです。
ここで視点を変える必要があります。
「正しいかどうか」を判断するのではなく、その選択が 今の自分の方向性とどのように関係しているのか を見ていく。選択肢を、自分の特性や傾向という視点で分解してみると、
- この道を選んだ場合、何が活かされやすいのか
- 同時に、どんな負荷や課題を引き受けることになるのか
が、評価ではなく“構造”として見えてきます。良い・悪いという二元論ではなく、「どう運用するか」という現実的な問いへと移行したとき、選択は“当てるもの”から“組み立てるもの”へと変わります。
⑤ 確信は、選択の後から育っていく
選択を間違えたくないと感じるのは、あなたが自分の人生を軽く扱っていない証です。
その慎重さ自体は、否定されるものではありません。
ただし、「完全に正しい選択をしてから動く」という順序は、現実には存在しません。確信は、選択の前に完成するものではなく、選択したあとに、調整しながら育っていくものです。
自分の方向性に基づいた選択であれば、結果がどうであれ、それは“間違い”ではなく次の修正点を教えてくれる材料になります。答えは、ここにはありません。
けれど、「何を基準に選ぼうとしていたのか」に気づいたとき、選択への恐れは、静かに形を変え始めます。
—— 静かな内省のための問い
その迷いは、あなたの性質が何かに反応しているサインです。ノートを開き、内なる声に耳を傾ける「調整の機会」を持ってみてください。


